hashike

感情の捨て場

別離

こんにちは、リヒトです。

 

もうだいたい二か月くらい前になってしまうのですが、仕事がひとつの節目を迎えまして。気持ちをまとめて残しておく場所としてブログを作ってみました。

年度が変わる前に建てたかったのですが、色々あって時間が掛かりました。

 

節目とはなんぞやかというと、転職です。

3月9日付で、約8年間製作部でお世話になった円谷プロを退職しました。

特撮やSFを幼少より愛好した延長で就職し、悪い意味でファン感丸出し、それはもう色々なご迷惑をほうぼうに撒き散らしながらも、図太くやらせてもらいました。

ウルトラマンに並び立ち、いずれそれ以上になる存在を生み出す」という破れた夢をはじめとした、思い返せば赤面必至の言動ばかりだったにも関わらず、時に厳しく、時に面白がって向き合ってくださった方々には、感謝をはじめとした忘れがたい様々な感情があります。

実際、嫌になってやめたというわけでは必ずしもないので、辞意を申し出たはいいものの、円谷以上にモチベーションを持ってお仕事ができそうな新天地をみつけるのは苦労しました。

それにしても、転職は二度としたくないです。働きながら空き時間で次を探すのが一般的かと思いますが、私の場合、撮影の合間などで個人的な予定を組むのが相当無理筋に感じていたのと、仕事の裏で次を探す罪悪感に耐えかねたので、まず上司に退職の意向を伝え、後がない状況で有休消化に入りつつの転職活動をしていました。

それなりのプレッシャーを感じつつも社会には全く貢献しない日々を送った結果、転職する上でまず狙いを定めたゲーム業界、それもかなり前のめりで入っていけるような、夢を捨てて入る価値が感じられる会社にご縁を頂けたので、今のん気にエンタメに浸かっていられたりします。よかったぁ。

ところで、意味ありげな日付の退職日を迎える前、2月半ばには有休消化に入っていたため、人生最後かもしれない春休みを過ごしていました。

フィギュアの棚を入れ替えるだけのつもりが大幅なレイアウト変更になって一週間くらいの大掃除になったり。

でもこの写真の時から既にもう今新たに積み重なってるなぁ。

祖父母のいる函館に行ったり。

ここ数年は祖父母の家から全くでないでただただぐうたらにすることに徹したりしてたりもしたのですが、今回は叔母の計らいもあり、おいしいものを中心に10年ぶりくらいに観光しました。

なかでもあじさいのパーコー麺とザンギは感動的な美味しさだったので、今スマホの待受になっています。これから帰る度にいこー。パーコー麺は券売機のちょっとわかりにくいところにあるのです。

1か月以上のお休みは心身共に相当なリフレッシュにはなったのですが、一方で自分がなにもせずとも社会は問題なく回っていくことが実感できてしまったり(仕事がエンタメなので元も子もありませんが)、世間ではとてもとても暗いニュースが続いたりと、なんとなくもやもやが心のどこかにありました。

晴れて4月、ゲーム開発未経験だったこともあり、専門学校のエリートだった新卒の方たちと研修を受けたり、すんごい久々というかヘタしたら社会人になって初めて0→1の企画書を書いたり(ずっとこれがしたかった)、そもそもゲーム開発に触れること自体も含め刺激を受ける毎日です。よかったぁ。がんばろー。

 

さて、冒頭に「色々あって」などと書いておりましたがなにかというと、ずばりこれです。

新生活も順調で気持ちが高鳴っていた一方、4月頃から急加速的にメディアでの存在感を増したこちらの作品には、申し訳ないことに少なからずささくれ立った感情がありました。

ここまで私の駄文にお付き合いくださっている方自体いらっしゃるか微妙なところですが、たまたまここにたどり着き、思考停止でスクロールしてしまった方の中で、こちらの作品に肯定的な方は、以降は読まずに回れ右されることを推奨します。うまくいってるかわかりませんが折り畳み機能も使ってみます。また、告発や暴露じみた情報もありません。知っててもネットの海に放り投げたりしませんし、意図的に回避します。そもそもほとんどなにも知りませんでしたし。そのように解釈されるのもご遠慮願います。

あまり見ないのですが他所で作品のレビューや批評をされている方のように雄弁でもありませんし、とてもつまらないはずです。感想ですらない、ただただ見苦しい私の感情の記録です。

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まず、繰り返しになってしまいますが制作部の末端で、のほほんと番組やweb動画の制作に心血を注いでいた私などには、社外でこの作品がつくられていることすら報道に乗るまで知る由もなかったと断っておきます。

作品の存在やタイトルや公開日、ウルトラマンのデザインに至るまで世間の皆様と同じタイミングで知り得ました。

もちろんその情報について思うことは都度ありました。

「『真実と正義と美の化身』なのかぁ」「『シン・~』なのかぁ」などと人並みに。

色々な情報が断片的に公開されつつも、私は目の前のウルトラマンで頭がいっぱいだったこともあり、永くして「自分が知らないウルトラマンが来る」ことに実感を持てずにいたのです。

そもそも「ウルトラマンに並び立ち、いずれそれ以上になる存在を生み出す」という目標を持っていたにも関わらず、なにやらウルトラマンを新生しているらしいこの作品に、素直に羨望とも言い切れない妬ましさを抱えて目を背けていたのかもしれません。

何か知っているのか、どう関わっているのかを問われても、その雑な好奇心を「関わってないし、何も知りませんー」と一蹴しあっけらかんとされたり、勝手に興味を失われることに、一種の快感を憶えてすらいました。

ただ、公開が近づくにつれ、極めて個人的で身勝手なプライドの逃避すらもゆるされなくなります。プッシュされている作品の情報を入れないで暮らすのって大変ですね。

有名俳優ってすご。宣伝ってすご。お金ってすご。

今まで自分が携わったウルトラマンのことなど全く興味がなかった方々。SNSだけでかろうじて繋がっている知人・同級生、母の同僚、私のブリーチ欲に都度向き合ってくれる美容師、毎週生きる楽しさを分けてくれるラジオパーソナリティに及ぶまで。

その方々が口にし、興味を持つ「ウルトラマン」は、私が向き合ってきた彼らとはデザイン通り似て非なる。この異物感(と言い切ってしまうのはあまりに主観的だと自覚しつつ)は、もう見切りをつけたはずの8年間を掘り起こして、潰されているかのようで、順調だった私の心にちょっとばかし痛く刺さりました

頭で考えれば、製作費から対象とする層しない層、クリエイターの知名度、公開メディア。なにからなにまで違っているわけで、勝手に否定されている気になっているだけかもしれない。そしてなにより、もう私は円谷にはいないのだから、そんなことどうでもよくあるべきなのに、被害妄想に憑かれている自分が哀れで仕方なかったのですね。

こんな面倒くさい状態だったので、転職の報告を初回記事に、感情を残すブログを建てようとしても、嘘しか書けず断念していました。じゃあやめろよというハナシですが、忘れしまうのが悲しいのです。結構すぐ感情を忘れてしまうのです。

そしていざ公開。5.13。

「1、3、5はラッキーナンバーなのでやめてほしかったなぁ」などと、最早過去との潔い決別などとうに諦め、まつわるものすべてをネガティブに思えるほどには無視できなくなっていました。もう言いがかり。

公開から一週間ほど経ったところで、仕事以外に考えるのは「『シン』ってどういう意味なんだろう」「怪獣宇宙人はなにが出ちゃうんだろう」「でかいのかな?」などということばかり。

あまりにも自分が惨めなので、なぜこの作品を自分はこんなにも恐れているのかを考えるようになりました。この気持ちの整理にいつも時間が掛かり過ぎるのですが。

まず、「円谷を辞めた直後にウルトラマンが話題になって後悔しているのでは?」という疑いを自分にかけました。しかしこれについては明らかに否定できます。ウルトラマンも円谷も映像制作も好きだったけど、戻りたいかというと明らかにNO。新天地が圧倒的に楽しいし、もろもろあって未練みたいなものは完全に断ち切っていました。そして、円谷にまだ在籍してこの公開を迎えていたら、こんなレベルじゃないほどおかしなことになっていたまであります。そういう意味でも転職という決断自体は個人的にとてもナイスでした。

次に、「ただ嫉妬しているのでは?」という疑問が。これは半分否定できない。でも半分。潤沢な予算でウルトラマンをつくる、しかも宣伝も行き届いていてみんな知っている、というか既にヒットしているしなにやら好評。ただただ羨ましい。しかし、私の目標はウルトラマンだけでは必ずしもなかったですし、繰り返しですが仕事の面で未練もなく、ここについてはある意味ドライだなと自分でも感心するところですので、自分の過去を否定されている気になるまで大きな感情になるかなぁと。別に、この先ウルトラマンがヒットしようと、こういった感情になるはずがないのです。

であるからこそ、「赤の他人がつくったウルトラマンにハマるのが怖いのでは?」という単純な視点に行き着きました。これです。これは100%こわい。私にとって、ウルトラマンをつくっているのは私がよく知るあの人たち。この先もあの人たちから継いでいく。物凄くハードな条件の中で日々頑張っている。もし、これからも続くシリーズの中で大きく状況が変わることがあっても(どちらかと言うと私は変化を求めるタイプでした)、それはシリーズに寄り添った誰かの意思であって欲しい。「エヴァ」も「シンゴジ」もすごいと思うけど対岸の存在。バックボーンとしてウルトラマンがあるのは知っていたけども。自分が持ちえない多くの才能を持っていて。名前がブランドになって。天皇から賞を授かったなんて。

でも、それで「シン」なるウルトラマンをつくれるのかしら。私はずっとここが紐づかないでいました。なぜ、知らぬところから「シン」が?いいのかな。良かったら、怖いぞと。これまでシリーズに携わってきた方々の叡智が、ただ一人に敗北してしまうかのような錯覚を持っていました。実際には、その一人の発想にシリーズの伝統があるっぽいので、そんな大仰なことではそもそもないのだけども。

つまり、自分がハマらなければどうということではないと、愚かな寄り道の末行き着いたんですね。こじつけてるのかもしれませんが。

そして一旦濁った感情に光がさした気がしたので、思い立ったその日に劇場へ。どうせならIMAXで。もう目を背けられない。こころなしか開場前の待機が試験会場みたいだ。

 

予告。トップガン続編、「めちゃくちゃ楽しみ」。仮面ライダー、「へぇ」。今はそれよりもプライドを。

 

タイトルが出る。唐突な私物化の明示。

今更だけど「シン」ってなんだ。

説明セリフの応酬。手法の使い回し。キャッチコピーを確認。浪漫とは。

誰かの言葉を思い出す。「ウルトラマンは"ついていいウソ"である」。

野暮を通りこして言い訳の羅列。唐突に変質するルック。場当たり的な物語。

「進め!ウルトラマン」はすごいなぁ。

でも「シン」ってなんだ。

問答が古い。会話に息が詰まる。

澄んだビジュアルの空気感はどこに。思い出す。

「なにもウルトラマンは地球に喧嘩しにきたわけじゃない」。

空想と浪漫はなく。いうまでもなく、友情などない。

あとやっぱり「シン」ってなに。

 

劇場を出る。顔を覗いてくる友人の表情で爆笑してしまった。

私はその時にはじめて自分の決断が正しかったことを知り、

思い悩んでいたことのちっぽけさを自覚する。

 

さようなら、ウルトラマン